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vol.15 ~キカイ

マスコット

2010年5月27日(木)~30日(日)
新宿シアターブラッツにて

 

この場所にベンチがあったから、松尾と服部は出会えた…と、ベンチは考えた。

vol.15チラシ

挨 拶 

 

今回、二人芝居が基本になっています。なので、出番が多いです、台詞も多いです、今までの倍はあります。いつまで経っても稽古してます。毎日、知恵熱が出ます。

この状況になって初めて、台詞に対して、作品に対しても、まだまだ考えていなかったのだなと思い知らされます。思い知らされる度に驚きます。「もっともっと上がある」「もっともっと考えられるんだ」と感じる度にビックリします。

今までの自分がどれほど足りなかったのか、欲していなかったのか…と。どこかで欲していたはずなのに、自分は「欲している」と確信していたはずなのに…。目の前に…実際、目の当たりにして、今までが「そこまで欲していなかったんだ」と、思わずにはいられません。

今回の芝居は、自分にとって永遠に語り続けられるものになると思います。みなさんに、永遠に語り続けられる芝居になれるよう、欲し続けます。みなさんが、欲していただければ、これ幸いです。

挨拶の締まりに一句。

「いつまでも ゲロゲロゲーロ 欲してる」

空気ノ機械ノ尾ッポ 原 寿彦

 

この場所にベンチがあったから、松尾と服部は出会えた…と、ベンチは考えた。

二人の男がベンチに座った。物語はここから始める事にしました。別にいつ始めても良かったのです。だれかがこのベンチに座ったときでも、また他のだれかが目の前を通ったときでも。ベンチはいつからかそこに置かれ、足下に生える雑草達と一緒に様々なものや人を眺めていました。別段、なにかに思い入れがあるわけでもないので…だから、いつ始めて良かったのです。けれど、今回は、この二人が出会うところから始めてみる事にしました。大の大人とベンチのお話しです。

貧血の松尾とベンチに生涯初めて座った服部は、ここで初めて出会いました。風景は時を刻み、人はすぐ目の前を過ぎていきます。過ぎ去る人から、思考が転がり落ちてくる。拾っていったら思考の迷路にはまってしまった…。

今回の「キカイ」は、迷路のように作られていきます。

松川晃子

 

 

舞台風景

 

今回は、ベンチ!

それ以外には何もいらなかったので、それのみです。

このベンチ一つでシーンは動いていきます。

 


 

 

参考資料作品について

 

● 松尾芭蕉と服部半蔵と

今回は松尾芭蕉の俳句を素材に作りました。「古池や 蛙飛び込む 水の音」の俳句を作った人です。この句は、誰もが知る俳句中の俳句ですが、評価は「人類最高の秀句!」という人もあれば「駄作に過ぎない!」という人もあり、様々です。小学生の頃、国語の教科書に書かれていました。イラスト付きで、月夜に池の蓮の葉から蛙がピョンと跳びはねて、今から池に入ろうとする姿が描かれていました。なんとものどかで、静かな、躍動感ある小さな世界。この俳句の良さというのは、このイラストに描かれている風景を容易に想像出来るからだ…と解釈し、なんの違和感も持たず過ごしてきました。

と、ある時、「松尾芭蕉と服部半蔵が同一人物説」を耳にしました。私は歴史には全く疎いのです。だもので、服部半蔵がどういう人物なのかと言われても、「伊賀の忍者!」しか答えられないず、頭の中には「忍者ハットリくん」が登場します。松尾芭蕉と言われれば、「古池や~」と、のんびり旅する「奧の細道」しか頭に浮かびません。この二人が同一人物ですと!?

私のイメージする二人の人間像は、服部半蔵は、賢くタッタパッパと考え、サッサタッタと実行していくガツガツした人で痩せて面長の身軽な男。松尾芭蕉は、遊びの名人で政治なんか大嫌いで花や蛙やらを見ては「ホッホッホ…」と笑い、冗談を言い、人と戯れ遊ぶおちゃめな人でした。

調べてみると色々わかりました。ちょっとしたショックでした。

服部半蔵はいわゆる「かっこいい忍者」ではなく、統率を取る側だったのでデブンとしたあまり動かない人だったという説。また、松尾芭蕉は政治通であり隠密だったという説。どちらも私のイメージからかけ離れています。なんとも言いようのない脱力感…まるで詐欺にでもあったようなそんな気分です。同一人物説なんてどうでも良くなり、興味というか…違和感というか…何やら分からない思いに駆り立てられて、もう少し調べてみる事にしました。

そこであの句に再会です。

 

● 「古池や 蛙飛び込む 水の音」

みなさんは飛び込む蛙の水音を聞いた事がありますか?

「日本には42種の蛙が棲んでおり、そのうち関東に棲む蛙は10種程度。当時、芭蕉のそばにいたであろう蛙は、だいたい褐色のツチガエルか、ひとまわり小さいヌマガエルと察する。これらの蛙は池の上から飛び込まない。池の端より這うようにして水中に入っていく。これら蛙が池に飛び込むのは、蛇などの天敵や人間に襲われそうになった時だけである。絶体絶命の時だけジャンプしてスルリと水の中に入っていく。それでも、ほんの些細な音しかしないだろう。

さて、蛙が飛び込んだ池はというと、

俳句の作られた年は貞享3年(1686)、春。芭蕉42歳の時。その4年前、天和2年(1682)12月28日、「八百屋お七」で有名な江戸の大火の時、庵は焼け、芭蕉は焼死するところであった。危うく一命をとりとめたのは、小名木川の泥水につかり、洲を這い上がって難を逃れたからである。「野ざらしを心に風のしむ身哉」はそういう無惨な心境の句だ。4年後、舞台になった池、深川の生簀周辺はまだ水は濁り火事の焼け跡が残る。ゴミだの虫の死骸さえ浮かび、底には火事から逃れるために池に飛び込んで水死した人骨が沈んでいる。依然混沌とした池であったに違いない。蛙は和歌の世界には到底出てこない異物であり、汚れている。」(※嵐山光三郎氏の著書「悪党芭蕉」を参照)

これらを背景に再度、この句を詠み直す。

「古池や 蛙飛び込む 水の音」

なんとも力強いというか、生のチカラというか…。ほのぼのとしたイラストが一転し、暗黒の世界で力強い光をイメージする。逞しい命がそこにある。教科書にあったイラストなど陳腐極まりない。今まで何を知った気になっていたのかと、心苦しく思う。イラストを見ただけで鵜呑みにし、何も思わず何も考えなかった自分が恥ずかしいとさえ思う。

と、言っても…。これらの背景、蛙の事や池の風景が実際にどういうものだったのかは、当の本人 芭蕉の記録にはありません。芭蕉の没後、弟子や批評家達により解説されています。推測や演出の入った深読みしずぎ、美化しすぎな解釈かもしれません。

これを残した芭蕉は、いったいどう捕らえて欲しかったのでしょうか…実際の所はわからないのです。

この俳句、五・七・五で綴った言葉だけが残っています。

 

● 目にかかる 時やことさら 五月富士

芝居中で使われるこの句は、元禄7年(1694)の作で『芭蕉翁行状記』に収められているものです。

「山越えの時に曇り空で富士の姿が見えないと思っていたところ、突然雲が切れてあざやかな富士の姿が現れた。予期もしない時に目に入った山容の美しさはことさらである。」…と訳されています。 

著・松川晃子

 

 

公演概要 

2010年5月27日(木)~30日(日)
新宿シアターブラッツにて

作・演出 空気ノ機械ノ尾ッポ
出演 原 寿彦 / 松川晃子 /境 田博美 / 宮路 央

高橋清彦(CLEO) / 米澤成美(太田プロ)/ 宮田佳奈

Stuff  照明:池田圭子 / 宣伝美術:井手口智人

音楽:高橋清彦 / 音響:仙浪昌弥

舞台監督:小菅良隆 / 宣伝:伊藤乃理恵

制作協力 :今 愛美 / 石田美智子

制作:空気ノ機械ノ尾ッポ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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